――なんだか急にサイコサスペンスっぽくなってきましたね。
堀江 ちなみに美智子さまが、皇太子殿下(現在の上皇さま)からのプロポーズを苦渋の末に受け入れてお二人の婚約が発表されたのも、三島が結婚した同年=昭和33年11月のことでした。
――本当に同じ時代を生きていたことはわかります。
堀江 なお三島本人でさえ、美智子さまとの「出会いは歌舞伎座での一度きり」といっているのですが、「銀座6丁目の割烹『井上』」の「女将・故井上つる江さん」によると「三島さんと美智子さまはウチの二階でお見合いしたんだよ」とのこと(新潮社「週刊新潮」平成21年4月2日号)。
三島由紀夫の母による、思わせぶりな回答とは?
――これは完全に都市伝説化しているからこその、怪情報の増殖でしょうか(笑)。こうやって伝説は補強されていくんですね。
堀江 さらにかつて総理大臣を務めた佐藤栄作の夫人の証言として、三島由紀夫の実母・平岡倭文重が軽井沢で夏を過ごす習慣があるのに、三島だけは滅多に来ない理由は、「いろいろ思い出が多すぎるからでしょう」、という思わせぶりな回答をしていたともいいます(佐藤寛子『佐藤寛子の「宰相夫人秘録」』)。
つまり、上皇さまと美智子さまの思い出の土地として名高い軽井沢は、美智子さまに失恋した三島にとっては「鬼門」だったのでしょうか。ただ、三島だけでなく、その母親までが、自分たちを特別で、神秘的な存在に祭り上げようと演技している様子も感じられてしまいます。
――この母にして、この子あり……。
堀江 実際、美智子さまを慕いつづけたこと「だけ」は確かな三島は、恐れ多くも皇太子殿下を「恋敵」だと考えていたようです。昭和34年(1959年)4月10日、お二人のご成婚当日の三島は、朝まで執筆していたので昼13時に起床。その後は庭で竹刀の素振りをしてから、テレビでパレードを見ることにしたようです。
実はこの時、沿道に集まった11万人もの人々の中から、一人の若い男が「握りこぶし大」の石をお二人が乗っている馬車にぶつけただけでなく、馬車によじ登ろうとするという事件を起こしています。しかしこれを見て、三島はお二人を案じるどころか、異常な興奮を覚えてしまったと告白しているのでした。
――次回につづきます。