2019年2月24日、天皇陛下在位30周年を記念した式典での上皇上皇后両陛下(C)GettyImages

 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

目次

・三島由紀夫が公然と語った、上皇后・美智子さまとの「お見合い」
・三島由紀夫の発言が微妙に食い違うワケ
・美智子さまの婚約発表と、三島の結婚は同年だった
・三島由紀夫の母による、思わせぶりな回答とは?

三島由紀夫が公然と語った、上皇后・美智子さまとの「お見合い」

――前回から、昭和の文豪・三島由紀夫の心の恋人は、上皇后・美智子さまだったというお話を聞いています。聖心女子大にこだわる三島の「条件」に合った女性として、卒業生である美智子さまのご連絡先が大学から三島家に伝えられたとのことでした。

堀江宏樹氏(以下、堀江) 三島の希望条件は「才媛(=インテリ女性)」でした。それゆえ「テニス、ピアノを得意とするほか、文章を書くことも好き」という美智子さまの情報だけでも「運命」を感じてしまい、自身がパンフレットにエッセイを寄稿していた歌舞伎座の昼の部の公演に美智子さまをお誘いしたというのです。

 こうした「過去」を三島由紀夫が公然と語った最初の記録としては、昭和42年(1967年)、タイの首都・バンコクのエラワン・ホテルのプールサイドのデッキチェアの上での会話があるんですね。

 昭和42年といえば、三島の市ヶ谷の自衛隊駐屯地での切腹自害まで残すところ3年ほどです。三島にとっては最晩年といえる時期に、彼はなぜか上機嫌で「ぼくはXX子さん(=美智子さま)と見合いをしたことがあるんです」と切り出したようです。

――なぜ、タイのプールなのでしょうか。開放的な気分になってしゃべっちゃったんですかね。

堀江 三島の最後の作品「豊饒の海」は魂の輪廻転生を取り扱う連作で、その第三篇『暁の寺』では物語の舞台が日本からタイに飛ぶ場面もあるため、取材旅行でしょう。この三島の突然の証言を書き留めた、当時「毎日新聞」バンコク特派員だった徳岡孝夫によると、「まとまらなくても、どちらにも疵(きず)がつかないよう、歌舞伎座で双方とも家族同伴で芝居を見て、食堂で一緒に食事をした。それだけでした」と、三島は朗らかに(!)語りました(徳岡孝夫『五衰の人』文春文庫)。