実際、昭和32年(1957年)に美智子さまが聖心女子大を卒業なさると、正田家は結婚相手を探し始めていたことを認めているんですね。後年、アメリカの雑誌「タイム」が、「さる石鹸会社の御曹司」と美智子さまがお見合いしたが、「御曹司」が美智子さまを気に入らず、うまくいかなかったという「噂」を記事にしたそうです。

 しかし、これも正田家が否定した三島とのお見合いのように、「さる石鹸会社の御曹司」のご家族が事実無根だと完全否定しているようです(工藤美代子『皇后の真実』幻冬舎)。

 まぁ、当時すでに美智子さまは、皇太子殿下(現在の上皇さま)とお出会いになられていて、殿下が美智子さまのことを真剣にお考えになっている空気が伝わり始めていたのではないか……ともいわれ、関係者としては、たとえお見合いが事実だったところで、それを真実とは認めることはできない空気はあるでしょうね。

三島由紀夫の発言が微妙に食い違うワケ

――関係者の記憶なり、家族に伝わる伝聞情報は必ずしも正確とはいえないということもよく言われますよね。

堀江 美智子さまと見合いしたなどと公言してしまう三島や、その母・倭文重に問題があるということでもあります。

 三島は、美智子さまと2回目の約束を取り付けることができなかった。つまり初対面でお断りされた立場なのですが、その後も美智子さまに恋心を残し続けてしまったようです。お見合いの真偽はともかく、三島が自分を「最高の男性」だと信じるには、「最高の女性」である美智子さまとのエピソードが必要だったのかもしれません。

 あるいは――、美智子さまは詩を翻訳なさったり、絵本を出版なさったり、折に触れてお詠みになられるお歌もひときわ素晴らしいことからも拝察できるように、文学全般に深いご関心があられます。

 おそらく、「お見合い」ではないにせよ、周囲から勧められ、「新進気鋭の作家の三島先生という方と一度、お会いしてみたら?」という形で、三島との対面が実現したのかもしれない……という想像はしてみたくもなりますね。