三島は初対面で恋に落ちたようですが、正田家では歌舞伎座での美智子さまのご様子から「脈なし」というのははっきりとわかったので、正式なお見合いにステップを進めることさえなかったということになりますが……。
ちなみに「楯の会」のメンバーからも「先生、(美智子さまと)見合い、したんですよね」と聞かれると、「正式のものではない。歌舞伎座で偶然隣り合わせになる形だ」(セリフ部分は村上建夫『君たちには分からない』)と答えていますね。
ーータイのプールサイドでの発言とは微妙に食い違っているような……?
堀江 刑事ドラマでは証言が崩れた! となる場面ですけど、解釈次第かも。というのも江戸時代の武家などの「お見合い」って、まさにこういう感じだったんですよね。往来で偶然を装って男女をすれちがわせて、その第一印象でアリか、ナシかを決めさせる……みたいな。昭和でも、正式な「お見合い」の前段階として、こういう出会わせ方をするというのはありうる話だった気もします……。
美智子さまの婚約発表と、三島の結婚は同年だった
――三島は日記に美智子さまへの思いを記していないのでしょうか。
堀江 三島は「豊饒の海」の時でも創作初期から詳細なノートを付けていた作家ですから、もちろんそういう証言も「あった」ようです。三島は昭和33年(1958年)6月、別の女性と結婚しましたが、その時、自分の日記から美智子さまにまつわるページをすべて破って、しかも焼却したといっているのですね。
そうそう、三島の絶筆である『豊饒の海』(新潮社)の第四篇「天人五衰」のラストでは、第一篇「春の雪」から登場し続けた本田繁邦が信じ込んでいた「事実」が、当人から完全否定されるシーンが出てきて、本田だけでなく、読者も度肝を抜かれるのです。正田家からは完全否定されている美智子さまと三島の「お見合い」も、三島とその母親の中だけは疑いようのない「真実」だったのかも……。