赤石 週刊誌や芸能界を描くためたくさんの現役記者にも取材をしたと聞いています。実は私の後輩でもある「週刊文春」(文藝春秋)の記者も協力したそうですが、現場の声を聞いてみて、週刊誌の仕事に関してどのような感想を持たれましたか。

誉田 たくさんの方にお話を聞いた中でも「週刊現代」(講談社)と『週刊文春』の記者さんの話がすごく参考になりました。仕事ぶりも面白いですし。求められる記事も取材のやり方も新聞とは異なっていて、他媒体と同じことを書いていてはダメだし、毎週のようにネタを出すと聞いて、これはキツいだろうなと。取材手法も新聞記者だったら社の名刺を持って堂々と正面から当たっていくんだろうけど、週刊誌記者の場合は独自のネタを見つけると水面下で時間をかけて調査をしていく。刑事よりも公安みたいなイメージですね。

赤石 「週刊文春」に在籍していたころ、僕は忙しすぎてマヒしていたのかもしれませんが、週刊誌って読むよりも記者をやっている方が楽しいんですよ。いろんな物事の裏も見れるし仲間もできる。ビジネスでいえば状況は厳しいんですけど。

誉田 でも、(仮に所属する雑誌がなくなったとしても)発表する媒体が変わるだけで記者の仕事は簡単にはなくならないと思いますよ。今はあらゆるところに“カメラ”があるけど、記者が足を使って手を使って、張り込みをして直撃をして言質を取ってと、取材を積み重ねて初めて浮かんでくる真実もありますから。

「知りたがる側」と「暴かれる側」

赤石 記者なりの葛藤もリアルでした。僕はもともと「フライデー」(講談社)の政治班から文春に移って、芸能ネタなど何でもやるようになったんですが、ゴシップも許容しなければならないし、仕事でもあるから好き嫌いも言っていられない。ドラマでは後輩記者の影山拓也(IMP.)さん演じる矢口慶太がまさにそんな悩みにぶち当たっていて。

誉田 ただ僕の場合、メディアを舞台にした作品を書くと、最終的に「知りたがりの罪」って話にしがちなんです。事件でも不倫報道でも、記者だけじゃなく読者も視聴者もみんな知りたがっている。僕だって知りたいとは思うけど、「知りたがる側」と「暴かれる側」の痛みは公平ではないじゃないですか。だからこの作品では真実を追求することの残酷さや痛さではなく、逆にそれを武器にした「幸せな嘘の物語」を書きたいなって思ったんです。ちょっとズルいようですが、事実と真実っていうのは違いますからね。