さて、次回からはドラマのまひろが京都を離れ、旅に出るというドラマオリジナルの展開となりそうです。いちおう紫式部(だと考えられる人物)の最後の記録といえるのが、寛仁3年(1019年)正月(1月)5日、藤原実資の日記『小右記』なんですね。ここで彰子のもとを訪ねた実資の対応をした紫式部と思われる女房が、「昔はよくおいでくださったのに、最近はさっぱりですわね」という彰子からの伝言を実資に伝えたとされています。
それゆえ、この頃に紫式部は亡くなったのではないかという説もあるのですが、ドラマのまひろは京都を出て九州に旅立つようですね。ドラマの中盤、越前でまひろと出会い、いい感じになったものの、喧嘩別れ(脅迫別れ?)で終わった宋人医師――実際は宋の人々に助けられ、育てられた日本人の周明(松下洸平さん)が「鎮西(=九州地方)の人々」として、『光る君へ』の公式ページの人物関係図に登場していました。
この前から最終回間近の『光る君へ』のフィナーレとして、大宰府の役人たちが女真族の海賊たちと戦った「刀伊の入寇」を取り上げるのではないかという話をしてきたわけですが、ドラマでは主人公・まひろが九州地区で周明との再会(とおそらく恋の再燃)を遂げ、戦というものを自分の目で見る……という展開になるのではないでしょうか。
ちなみに史実の道長は、外国勢力による日本侵略である「刀伊の入寇」の際には、朝廷を積極的に動かそうとせず、おざなりで消極的な対応を繰り返すだけでした。それだけ晩年の道長の政治に対する熱意が低下していた証しかもしれませんし、そもそも政治家としての道長にはビジョンなどなく、ただ朝廷における政治抗争をやりたかっただけであり、それしか才能がなかった人物といえるかもしれません。
しかしドラマは紫式部の晩年がまったくの謎であるという「史実」を逆手にとって、最終回までは完全オリジナルの展開に突入するようです。華やかな映像とは裏腹に地味な印象しかなかった最近の『光る君へ』ですが、最後に一花咲かせてくれそうで楽しみになってきました!