しかしそこは最後まで藤原道長らしいというか、その建築資材のうち、入手が容易ではなかった巨大な礎石については公の建物から奪い取らせているんですね。藤原実資(秋山竜次さん)によると羅城門や神泉苑といった国家施設から、次々と礎石が運び込まれていったそうです。まぁ、羅城門は当時の時点ですでに倒壊していたので、多少の考慮はされたようですが、本当に史実の道長は最後まで外道ぶりに歯止めがかからない困ったちゃんだったと言わざるをえません。こうして費用を浮かせることができたぶん、寺の柱には極めて貴重だった香木が惜しげもなく使われ、その屋根には高価な緑色の瓦が敷き詰められたのだとか……。

 また、道長は「この世をば」の歌の中で「自分の権勢には欠けたところがない」と豪語したわけですが、たしかに彼がいわゆる摂関政治の頂点に立った人物であることは間違いありません。しかし、摂関政治とは自分の家族の女性――自分の姉妹たちや娘たちを次々と天皇家に入内させ、彼女たちが授かった皇子たちの誰かを天皇に即位させ、自分はその幼い帝に代わって政治を思うままに操るのですが、そもそも娘たちに恵まれない場合はまったくシステムとして機能できないわけです。

 頼れる姉・詮子(吉田羊さん)がいたり、彰子(見上愛さん)をはじめとした優秀な娘たちが数多くいた道長とは正反対に、彼の後継者・頼通には娘が少なく、その娘たちも天皇との間に皇子を授かることができませんでした。

 つまり、道長が築きあげた「御堂関白家(=道長の子孫たちのこと)」の栄華は、満月となったとたんに欠けてゆく空の月同様、ごく短期間のうちに色褪せ、失われていったのです。

 ドラマでは藤式部ことまひろが、『源氏物語』の続編にあたる「宇治十帖」を執筆しているようですね。「宇治十帖」の主人公の一人で、光源氏の息子である薫――実は中年期の光源氏が迎えた少女妻・女三の宮が別の男と通じて産んだ子は、源氏とは正反対の堅物だったのですが、それと同様、道長のような豪放さを頼通は持ちませんでした。もちろん頼通は道長の実の息子ではあったのですが……。