個人的な意見でもありますが、少女漫画、あるいは女性向け漫画といえば、世間的には許されない関係、他人からすればふしだらな行為でさえ美化して描けるメディアだったのではないでしょうか。『光る君へ』も、もっとこういう点に踏み込んでいただきたかった気がします。平安時代は、日本史の中では数少ない、女性が性愛の自由を謳歌した時代だったといえますから。

 政治的な部分を史実で補足すると、道長は長年務めてきた左大臣の職と並行し、長和4年(1015年)には闘病中の三条天皇(木村達成さん)の政治指南役として准摂政、さらにその翌年には譲位した三条天皇に代わって即位した後一条天皇(道長の外孫・橋本偉成さん)の摂政となったのですが、早くも翌年には摂政を辞し、太政大臣となっています。

 太政大臣とは「太政官(≒朝廷)の最高の官職」などといわれますが、名誉職的な性格が強く、史実ではすでに持病の糖尿病の悪化に苦しめられていた道長が、ついに頼通に権力を譲って引退フェーズに入ったことを意味します。

 またドラマでは取り上げられませんでしたが、長和5年(1016)7月には道長がもっとも好んだ屋敷の土御門第が、そして9月には次女・妍子(倉沢杏菜さん)が里帰りした時のための屋敷として建てられた枇杷殿が連続して火事に見舞われ、焼け落ちるという大事件が起きました。しかし、道長の口利きで国司になれた金満家の中級貴族たちが、莫大な私財を争うように献金してくれたおかげで、またたく間に御殿は新築されたのでした。

 こうした経緯があったものの、それでも「望月の夜」の宴までの道長は「わが世」は「望月」のようだ!と言い切るパワーを残していたのですが、その直後から彼の健康状態は悪化する一方で「胸病」や視力低下に苦しめられ、ついに寛仁3年(1019年)3月に出家しています。しかし、7月には蓄えこんだ巨万の私財を自邸に隣接した無量寿院(法成寺)の建築につぎ込みはじめます。建築はもっとも金がかかる趣味といいますが、平安時代の貴族階級にとっては、自分の墓の代わりに豪勢な寺を建て、そこで極楽往生を願いながら逝去するのが王道の「終活」なのです。