前回のドラマでも、三条天皇からわが子の出世をちらつかされた実資が天皇の肩を持つようになり、道長に対立する場面がありました。しかし、最終的に天皇が実資の長男以外の人物を蔵人頭に選んだことで、実資の「三条天皇びいき」も消えてしまったようです。

 史実の実資も道長より三条天皇にかなり接近した時期があったものの、それをやめ、再び道長のもとに戻ってきた経緯があるのです。それゆえ、おそらく「この世をば」というあからさまに自らの権勢を誇った歌を、わざわざ人前で、和歌が得意でもない実資を名指しにして返歌を求める形で詠みかけた背景にあるのは、平安貴族らしい雅だけれど陰湿な「いじめ」なんですね。

 ちなみにこの時の実資はとっさに機転を利かし、「私などにはお返しできないほど優美なお歌ですから、みなさまでこれを唱和しましょう」と、あからさまに道長をヨイショすることでその場を乗り切ったのでした。

 平安時代の公卿たちは日記を翌朝に書くのが通例なのですが、朝になっても、実資の心には昨晩の道長からの嫌がらせが残っていたので、「道長のやつめ、あんな下品な歌を詠みやがって!」という怒りを日記にぶちまけざるを得なくなったのでしょうね。このあたりをドラマがどのように映像化するか、見ものです。

 なお、最近では道長が眺めた月は、実は「望月」――満月ではなく、少しだけ欠けた十六夜の月だったのではないかという説が研究者の間で唱えられたりしています(山本淳子氏説)。ただ、「わが世」というフレーズを和歌の中で用いるのは、それまで天皇か皇太子に限定されていたという文脈から考えても、この宴の晩における道長の全能感には凄まじいものがあり、本当は少し欠けた十六夜の月であろうが、それを「満月である」と言い切っても、参加者一同は反論できなかったのではないか……などと筆者には思えてならないのです。

 次回予告で、ドラマの道長が「わが世をば」の歌を詠むシーンがありましたが、さほどおもしろくもないという様子で口ずさんでいるだけでした。筆者としては「そうきたか」という印象ですが、このあたりの歴史的事実の読み替えについても、次回の見どころとなるでしょう。とはいえ、『光る君へ』の道長の描き方では、やはり史実でたどる道長のギラギラとした魅力の一面にも迫れてはおらず、残念といわざるを得ない気もします