三島は歌舞伎が好きで、この時の公演パンフレットに執筆していた経緯もありました。ですから三島は美智子さまを2月の歌舞伎座に誘ったというのです。すると当日、淡い水色に花柄を添えた和服姿の美智子さまがおいでになって、三島と並んで歌舞伎座昼の部をご覧になったそうです(高橋英郎『三島あるいは優雅なる復讐』)。
――昭和中期の大卒女性が限定されているとはいえ、出身大学がお見合いセンターみたいなことまでしていたのは驚きです。その後、美智子さまと三島はどうなったのですか?
堀江 はっきりいうと、三島がフラれました。三島は美智子さまと別れ難かったようで、当時、五反田にあった美智子さまの暮らす正田家のお屋敷の門前まで、銀座の歌舞伎座からタクシーに同乗してお見送りしたのですが、二回目の約束を取り付けることはできなかった、と。
美智子さまのご実家は「お見合い」完全否定
――あらら。
堀江 しかし、ここからがもっと奇怪なのですが、美智子さまのご実家である正田家は「美智子さんが三島由紀夫さんといかなる形にせよ『お見合い』をした事実はない」と、完全否定しているんですね。
この当時、すでに美智子さまは皇太子殿下(現在の上皇さま)と出会っておられるし、殿下は美智子さまを将来のお妃としてお考えになられ始めていた頃だから、美智子さまもほかの男性とはどんな形にせよ、お見合いなんてしないという理屈です(以上、工藤美代子『皇后の真実』幻冬舎)。
しかし、美智子さまにかかわるすべてが、人の注目を引きたくてしかたない三島由紀夫の嘘八百、もしくは妄想を信じ込んだ末の戯れ言だったというわけでもないようなのです。
――次回につづきます。