それでも、歌人として上流社会で人気だったからでしょうか、13歳で華族女学校(現・学習院女子中等科)に入学するも、在学中に最初の夫と結婚、妊娠して中退という在学履歴だけは抹消されずに済んで、常磐会の会員名簿には残り続けられたのかもしれません。普通なら、不倫などが世間に知れ渡ると除籍処分を受けてしまうこともありえるのですが。
――名声がある人物に関しては無罪放免、ということでしょうか。結構、俗っぽいOB会ですね。
美智子さまいじめ”の主犯は常磐会メンバーだった
堀江 そんな彼女も皇太子妃時代の“美智子さまいじめ”の主犯だといわれていますね。しかし、吉原の遊女だった女性が、廓(くるわ)から逃げ出し、「自主廃業」するのを手伝うなど(参考:森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』朝日文庫)、先進的な社会運動家としての顔も柳原さんは持っていたわけです。
――美智子さま排斥運動にそんな柳原さんが加担するのは、矛盾している気がします。
堀江 そうなんですよね。常磐会のメンバーにとって、皇室は最高のスターであり、なにもかも崇め奉るような特別な存在であるべきだったのかもしれませんね。生まれた家が(旧)皇族・華族ではないことはよほど許せなかったのでしょう。もしくは、自分より上位の方々……たとえば松平さんからの排斥運動参加要請を断るようなことは、とてもできなかったのかもしれません。
柳原さんは、戦前に華族の身分を奪われてしまったような奔放な女性ですし、戦後、ご存じのように華族という身分は消失しています。しかし、柳原さんアイデンティティとしては、高貴な生まれであるという自負心は消えずにあったでしょうし、自分より立場も、身分も上の松平さんから「常磐会出身ではない女性が皇太子妃になるなんてあってはならないことよ。有名人の貴女に協力していただきたいわ」などと頼まれたら、拒めなかったのでは……。