同じ時期に娘の園子を亡くし、実家の峰屋は腐造を出してしまったことで廃業になってしまう。田邊の信頼を失ったことで、学問の世界から追放されてしまった万太郎は、独学で地道に研究を続けることになるのだが、同時に描かれるのが大学内での政治的なしがらみに翻弄される田邊教授の姿だ。日本の植物学の発展のために権力争いの渦中に突き進んでいく田邊は万太郎とは真逆の人物で、だからこそ万太郎が天才であることを見抜いていた。
第17~第21週で描かれた万太郎と田邊のエピソードは『らんまん』屈指の仕上がりとなっていた。これまで描いてきた万太郎の明るさに田邊の闇をぶつけたことで、本作の振り幅は一気に広がったといえよう。
そして物語終盤になると、年を重ねて植物学者としての地位を獲得したことと引き換えに、万太郎が持っていた若さゆえの万能感がじわじわと失われていく様子が描かれた。一人の俳優が若い頃から晩年まで演じる機会の多い朝ドラの場合、若手俳優が演じると、晩年の老いた姿に無理が出ることが多いのだが、老いて気弱になっていく万太郎の変化を、神木は巧みに演じている。おそらく序盤の天真爛漫さは、晩年の変化を見越して過剰に演じていたのだろう。この晩年の変化も含めて、見事な構成である。
困っている人がいれば手を差し伸べ、夢に向かってまっすぐ突き進んでいく朝ドラヒロインの優等生的振る舞いは、批判の対象となることが多かった。そのため『カーネーション』や『半分、青い。』といった2010年代の朝ドラは、優等生的なヒロイン像とは違うヒロインを生み出すことで、新しい女性像を打ち出してきた。
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