だんだん、わたしはマスメディアが自ら謳う「スクープ」という言葉にも嫌悪感を抱くようになってきた。ジャニーズ報道をもってさらに顕著になってきたマスメディアの本質を知るに連れ、スクープなどと謳って大衆の関心を引ければいいと考えている姿勢に、こちらが思うジャーナリズムが存在しないからだ。それに私は、大勢の中で立場が弱くなった人を、われが正義という顔として叩き上げるより、たった一人でも守りたいと考えてしまうのである。

 私が掲げるジャーナリズムとは、歪んだ報道に対して逆クロスを撃ち込み、世論が間違っていると思えば、それをも相手にして戦うことにある。それは本来、特別な感情ではなく、人としての当たり前の姿だったのではないか。

 弱いものイジメをしている相手に対して「ことの是非などは関係ない」「弱っているものをそれ以上いじめるな」と私は言ってきたが、現在のジャニーズ問題においては、ことの是非にも抵触している。

 重大な性被害があったのであれば、なぜ捜査当局が乗り出さないのだ。もはや事件化し、立件することが不可能だからだろう。被害を訴えている者が絶対の正義で、加害者は申し開きする言葉がまったくない絶対の悪であると、今回のケースで誰がどうやって立証できるのだ。