中でも2組のトークに熱が入ったのは、97年に2組が出演していた心斎橋筋2丁目劇場で突然宣言された「漫才禁止令」。その名の通り、「2丁目のレギュラーライブでは漫才をしてはならない」という、今では考えられないルールだった。
「必然的に(2丁目から)出るしかないやんね」(やすよ)
多くの若手芸人が「漫才禁止令」に従ってコント中心の活動にシフトする中、中川家とやすともは漫才を貫くために2丁目劇場を去ることになる。そして、客数が10人にも満たない「うめだ花月」の昼出番以外の仕事を一切失う。当の2丁目劇場が女子中高生のファンであふれ返っていた時代の話だ。
そもそも「漫才禁止令」が出された背景には何があったのか。
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