もう1人の父親は、シーナの実父である敏雄さん。サンハウスが解散し、シーナの実家で居候生活を送っていた鮎川に対し、「東京で勝負してこい」と敏雄さんは背中を押した。まだ幼かったシーナの娘たちの世話を敏雄さん夫妻が引き受けたことで、東京で再デビューに挑むことができた。お祭り好きで、芸能への理解のあった敏雄さん夫妻がいたからこそ、シーナ&ロケッツは誕生することになった。

 そして、3人目の父親は、鮎川誠自身だ。ライブツアーで全国を忙しく回りながらも、娘たちへの愛情を忘れなかった。ステージ上で全力で演奏する父親と母親の姿を見て、3人の娘は真っ直ぐに育った。長女の陽子はモデル・画家、次女の純子はシーナ&ロケッツのマネージャー、三女の知慧子はシーナ亡き後に2代目ヴォーカル・LUCY MiRRORとして加入する。

寺井「鮎川さんのご家族を描いたドキュメンタリーになっていますが、家族だけの物語にはなっていないと思うんです。鮎川さんは家族だけでなく、誰に対していつもフラットで、気さくに接していました。ライブに来てくれたファンはもちろん、シーナ&ロケッツを知らない人、街でたまたま出会った人とも仲良くしていました。人とコミュニケーションするのが大好きな人でした。鮎川さんにとって、ロックはいろんな人たちと、知らない人たちとつながるためのツールだったのかもしれません」

 ロックを介し、シーナ&ロケッツはより大きな家族へと広がっていった。