福岡で育まれた「めんたいロック」の土壌

 福岡県久留米市生まれの鮎川誠、同北九州市生まれのシーナ、それぞれの生い立ちからライブハウスでの出会い、そしてシーナ&ロケッツとしての活動の歴史が語られる本作。タイプの異なる3人の父親像が映し出されている点も興味深い。

 最初の父親は、鮎川の実の父親であるJ.D フレイジー氏。進駐軍として来日した米国人で、久留米の料亭で働いていた梅子さんとの間に、鮎川を授かった。フレイジー氏は鮎川が幼い頃に帰米し、鮎川が中学生のときに亡くなった。父親の残したレコード類に触れたことが、鮎川と音楽との出会いとなっている。

寺井「父親のことはご本人に詳しくは聞いていないんですが、子どもの頃にはつらい目にも遭っていると思います。でも、鮎川さんは父親のことをまったく恨んでいませんでした。『僕はパパにも愛されていたよ』と明るく語っていました。取材する側はロックを始めた理由を生い立ちに求めがちですが、鮎川さんは純粋にロックに魅了されたように思います」

 鮎川は福岡を拠点にしたサンハウスのメンバーとして活躍する一方、福岡市で初めてのロック喫茶「ぱわぁはうす」でロックの名盤を鑑賞するイベント『ブルースにとりつかれて』を定期的に開き、手書きのパンフレットを参加者に配布していた。ロックの源流について調べ、先人たちが生み出してきた音楽の歴史の中に自分たちもいることを確かめていた。「ぱわぁはうす」店員で、鮎川と懇意にしていた松本康氏は、のちに福岡市で有名な輸入レコード店「ジュークレコード」を開くことになる。彼らのこうした活動が、福岡に「めんたいロック」と呼ばれるロック文化を根付かせることになる。