約13年もの今川家での人質生活が、実際はどういうものだったかはよくわかりません。しかし、義元が当主だった時代の今川家は、当時の日本有数の名家であり、財政も豊かで、文化水準が非常に高かったことが知られています。岡崎の小領主の息子に過ぎない家康にとっては、今川家での生活は、一種の留学のようなものであったとも想像されます。
「桶狭間の戦い」に至るまでの家康の人生を史実で振り返ると、今川家の人質となる前から苦労続きだったようです。家康はわずか3歳で母・於大の方と生き別れになっており、6歳で今川家の人質になりますが、(一説に金に目がくらんだ)義理の祖父・戸田康光に裏切られ、人質として織田家に売り飛ばされています。紆余曲折の末、当初の予定どおり今川家の人質の立場に戻りましたが、その後は生まれ故郷の岡崎に里帰りすることもあまり許されぬまま、15歳で元服、16歳で最初の正室となる瀬名姫(義元の養女)と結婚させられるという、自由のない生活を送ったわけです。家康は日本史きっての苦労人とされますが、その呼び声にふさわしい経歴といえるでしょう。
ただ、ドラマの設定と史実に大きな違いがあることが、すでにいくつか確認できます。脚本の古沢さんいわく「歴史上の人物なので、一般的に思われているイメージがあると思うんですけれども、一回そういうものは全部外して、先入観にとらわれずに人物をつくっていこう」とのことで、かなり野心的な読み替えがありそうです。