軍隊では強い同調圧力がかかり、多くの若い兵士たちは特攻命令を拒むことができずに出撃し、未来ある命を失っています。戦争を生き残ったという罪悪感に加え、いちばん大切な人も失った敷島が悲壮感に駆られてゴジラとの対決に挑むのも、同じような構造ではないかと思うのです。クライマックスを盛り上げるための演出だとしても、日本人特有のそうしたヒロイズム、特攻精神を煽る演出には抵抗を感じてしまうのです。『ゴジラ-1.0』でいちばん残念に思うシーンです。オリジナル『ゴジラ』での芹沢博士(平田昭彦)や『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)の芹沢猪四郎(渡辺謙)のような悲劇は、もう観たくないのです。

 公開当初はこうした問題点、疑問点がけっこう指摘されていたのですが、興行的に成功し、アカデミー賞にもノミネートされ、評価がどんどん高まるうちに、批判的な声は聞こえなくなったように思います。少数意見がかき消されてしまう風潮も、すごく日本的だなと感じました。

 問題的も挙げましたが、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』(2019年)でゲーム愛好家たちを平然と敵に回した山崎監督には今後も期待しています。アカデミー賞を受賞したことで、企画開発における発言力も大いに増したはずです。クリストファー・ノーラン監督との対談では、米国側の視点から原爆開発を描いた『オッペンハイマー』(2023年)に対し、「日本側がアンサーの映画をつくらなくてはいけない」と山崎監督は語っています。

 山崎監督が「アンサーの映画」を撮るとしたら、実写版『はだしのゲン』しかないんじゃないでしょうか。その際は、ぜひ時代考証に強い脚本家と共作することもお忘れなく。