主人公となるのは、元特攻兵の敷島(神木隆之介)です。零戦の操縦は得意だったものの、米軍に特攻することができずに生きて戦地から戻ってきました。しかし、東京をはじめ日本はありとあらゆるところが、焼け野原状態。死んでしまった戦友や家族に対する罪の意識に敷島は苦しみます。ちなみに「敷島」とは、「大和」と同じような日本の古い呼び名でもあります。

 そんな敷島が闇市で出会うのが、典子(浜辺美波)です。戦災孤児となった乳児の明子を抱えた典子を放っておくことができず、バラック小屋での血の繋がらない3人の擬似家族の生活が始まります。機雷処理という危険な仕事を請け負うことで敷島は生活費を稼ぎ、典子、明子と暮らすことが彼の生きがいとなっていきます。

 敷島がようやく幸せの予感を感じ始めた矢先に、ゴジラが現れます。終戦直前にもゴジラに遭遇していた敷島の目には、1946年の米国による水爆実験で放射能を浴びて巨大化したゴジラは、戦争で亡くなった人たちがモンスターになって甦ってきたように映ります。

日本政府も米軍も当てにならない

 重巡洋艦「高雄」とゴジラとの海上での交戦に続き、東京に上陸したゴジラが銀座で暴れ回るシーンは、『ゴジラ-1.0』の大きな見せ場です。有楽町にあった日劇ホールは、ゴジラによってあっけなく破壊されます。さらにゴジラは放射熱線を吐き、国会議事堂も木っ端微塵にしてしまいます。この熱線を吐く様子は、ゴジラの背びれがカチッカチとせり上がり、まるでカウントダウンが進んでいくかのような緊張感があります。山崎監督のこうした特撮マインドにはうっとりさせられます。

 本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』は核開発競争を、庵野監督の『シン・ゴジラ』は東日本大震災および福島第一原発の暴走をモチーフにしていました。山崎監督の『ゴジラ-1.0』はコロナ禍で企画が進められたこともあり、コロナ禍でコロコロと政府の対応が変わったことへの不信感が根底にあるそうです。日本政府も米軍も当てにせず、日本の民間人の底力を見せてやろうぜ、というのが『ゴジラ-1.0』のメインテーマとなっています。