――薬物依存症という認識はなかった?
高知 ないです。保釈された際に、主治医の高木俊彦先生から「薬物依存症です」と言われて初めて知ったんです。それまでの自分は、根性論や精神論で生きてきたので、「病気」だと言われても理解できなかった。浅はかなんですが、「自分は運が悪かった」というふうに捉えていたんです。
――拘置所を出てからが大変だったようですね。
高知 1年目はいろいろな片付けやけじめをつけなきゃいけないことがあって、忙しかったんです。それまでエステサロンでがんばってくれていたスタッフの新しい職場も探さなくちゃいけなかった。つらかったのは2年目からです。友達が借りてくれたアパートの一室に引き篭もるように暮らしていたんでが、やることがないのでついテレビのワイドショーや雑誌が目に入ってしまうんです。自分に関するあることないことから、だんだんないことないことが書かれようになり、日本中の人が僕のことを嫌っていると思うようになったんです。すべてを失ってしまうことが現実のものになることは、想像以上の衝撃でした。自分を責め続け、どんどん自分を追い込んでしまいました。たまに親切に声を掛けてくれる人がいましたが、宗教の勧誘かネットワークビジネスの誘いでした。「金のカエル」の置き物も勧められました。「家の目立つところに置けば、明日から人生ががらりと変わりますよ」と言われましたが、十数万円という金額を聞いて断りました。そんな話ばっかりで、本当に人間不信に陥り、人に会うのが嫌になっていましたね。生活費も底を尽き、「俺はこの世にいないほうがいいんじゃないかと」とどんどん悪いほうに考えてしまうわけです。「おふくろも自死だったし、俺も結局はこういう結末なのかなぁ」と。