大正時代の女学生の服装の変化

大正時代の女学生は袴姿が一般的でした。大正時代中期からセーラー服が流行します。袴からセーラー服に制服が変わっていく学校が増え、それに伴い、靴や小物、制服の着崩し、髪型なども変わってきます。袴姿の時とは髪型は違い、三つ編みなどもこの時代から流行り始めます。制服の変化と共に髪型もコーディネートに合わせて変化するのは大正時代の特徴ですね。

大正時代後期になるとセーラー服が流行ったのと同時に体操服まで変化がありました。ブルマと言われている体操服を聞いたことありますか?ちょうちん型の短パンと思われていますが、これはブルマの進化型ということになります。ブルマの起源は大正時代の後期から出始めた足首まである長さのちょうちん型のブルマが最初と言われています。

上はセーラー服のままで、ちょうちんズボン型のブルマを履いて体操をしていたと言われています。今考えるととても不思議な格好ですが、当時は女性は運動というものをあまりすることがありませんでした。それが女学生は体育ということで軽めの運動が必要だということで、そのちょうちん型ブルマという服装で平均台などの軽めの運動をしていたとされています。

大正時代のモガと呼ばれる女性の服装の特徴

モダンガールと言われている女性の事をモガと呼ばれていました。略語は大正時代からあったんですね。モガと言われているモダンガールの服装の特徴はどんなものがあったのでしょうか。明治時代には女学生のようなきっちりと清楚という印象が強かった女性の服装ですが、大正時代になり、洋装といえばドレスコードというのが変わってきて、一般的にも洋服を着るようになります。

モダンガールの服装で一般的なのは少し丈が長めのスカートやワンピースがモダンガールたちの間ではおしゃれとされていました。それにクロッシェと言われている帽子を合わせるのが大正時代のモダンガールたちの間ではとても流行っていました。

髪型はフィンガーウェーブやショートボブで、フィンガーウェーブは和装の耳隠しの時の応用ともされていて、女性たちの間では画期的でとても流行りました。それにパールのロングネックレスやレースの手袋を合わせたコーディネートをすることで若者たちはモダンガール、通称モガとしておしゃれを楽しんでいたんですね。

大正時代の服装はどこの影響?

モダンガールのファッションやコーディネートのセンスはどこから取り入れられたものかと言われるとアメリカで1920年代に流行ったフラッパーガールやジャズエイジといったファッションのコーディネートからきているものと言われています。フラッパーガール、ジャズエイジという服装の特徴は高級感があり、とても上品でラグジュアリーな特徴をもったコーディネートファッションの事です。フィンガーウェーブなどもアメリカの1920年代のフラッパーガールからきています。

アメリカでもフラッパーガールのファッションコーディネートというのは新しい女性の文化としてとても流行っていました。日本ではそれの影響を受けつつ、日本人の女性らしい奥ゆかしさのモダンを取り入れて、モダンガールのファッションコーディネートが完成して、それが日本で流行ったということになります。モダンガールというのは大正時代の日本発祥のファッションコーディネートなんですね。

大正時代の服装に合わせたメイク

今ではメイクの一般的ともされているアイシャドウですが、アイシャドウは大正時代が始めとされています。モダンガールには青や紫など今ではブラウンが一般的なアイシャドウですが、大正時代にはブラウンのアイシャドウは流行しないで、青や紫、赤などはっきりとした色のアイシャドウをグラデーションではなく単色のみで瞼に色をつけるというのが流行しました。

アイシャドウだけでなく濃いめのチークや口紅などもとても流行しました。今のメイクと違い、色が多かったわけではない時代なので、口紅、チークはほぼ赤のみの色で構成されていました。ただ、髪の毛の色が黒で、モダンガールのファッションと赤い口紅やアイシャドウ、チークなどのメイクはとても映えました。