古臭いジャーナリストたちと、分断されたアメリカ。最後に大統領は射殺されるのだが、命乞いをする姿は滑稽でさえある。

 なんとなくその顔が石破茂首相に似ている気がしたのは、私の目の錯覚だったのだろうか。

 ここまでアメリカの分断は深刻ではないと思うか、いやいや、これは絵空事ではないと思うかは見た人の想像力に任せるが、私は、いつアメリカ、否、この国で起きても不思議ではないと、帰り道、屋台のラーメンをすすりながら思った。

 さて、まずは、我々世代には懐かしい「中核派」の話からいこう。

 中核派といえば60年代70年代の血なまぐさい革マル派との抗争を思い出すが、今でも健在のようだ。

 その中核派全学連の委員長に弱冠25歳のうら若き乙女が就いたというのである。
それも、学習院大学文学部に在学中(現在は休学)で、かつて上皇が主将をつとめていた馬術部にいたというのだから、畏れ多いことである。

 4年前に音楽の趣味でつながるSNSフォロワーがある集会についてツイートしていたのにつられて参加。

 そこに最高指導者の清水丈夫議長が半世紀ぶりに姿を現した。

 新潮のインタビューに、

「今の時代に本気で“革命”と言っている人たちが存在することが結構衝撃的でした」
と答えている。

 しかし彼女は、これで怯むことなく、活動家になると決意して、ビラ撒きに勉強会にと多忙だそうである。

 闘士たちも高齢になり、ソフト路線に転換するための誘い水として、彼女を委員長に仕立てたのでは?

「まったくそんなことはなく、ハードです。70年安保闘争を超えるような闘いを作りださないといけないと思っているので。実家には3年前に『前進』(機関紙)に記事を書いたとき、それを送りつけました。両親からは反対されていますね。暴力はよくない、と。あと、大学はちゃんと卒業してね、と言われています」

 80年代後半に、中核派のアジトへ行ったことを思い出す。薄汚い地底のような中に、活動家たちが蠢いていた。その一人に、「元木よ、お前の息子は○○幼稚園(実名)に行っているんだろう。気をつけた方がいいぞ」と脅されたのを覚えている。