なぜ、各州が政府に反逆してワシントンのホワイトハウスへなだれ込むのか、丁寧な説明はないが、現在のアメリカの分断状況がエスカレートすれば、このような事態になるかもしれないという近未来を予告しているのだろう。

 蜂起し武装した民衆とともにホワイトハウスを目指すのは3人のジャーナリストと20代の若い女性カメラマン4人たちである。

 まるで、ヒットラー時代のナチのような惨状が延々描かれる。

「ガーランド監督には、対話の不完全さと隣り合わせで描きたかったもうひとつのメッセージがある。それは“ジャーナリズム”だ。
本作にはケイリー・スピーニー演じるジェシーという若いジャーナリストがメインキャラクターの1人として登場する。彼女は、キルステン・ダンスト演じる先輩ジャーナリストのリーらと疑似家族とも言える関係を築きながら、崩壊するワシントンD.C.に迫っていく。
『ジェシーというキャラクターにはジャーナリズムへの想いが強く集約されています。彼女は劇中で内戦の惨状を淡々とカメラに収めていきます。そこには彼女自身による戦争へのバイアスや分析は介在しません。戦地の惨状を切り抜いた写真を見て人々がそこに想いを馳せる。これは“古い時代のジャーナリズム”を表現したものであり、だからこそ彼女はデジタルカメラではなく35ミリのスチールカメラを握っているのです。思うに60年代から80年代にかけてのルポルタージュとはそういうものだったと思います。
劇中、若い世代の代表であるジェシーはそうした時代のジャーナリズムの体現者になっていくのですが、これは古い世代から新しい世代への交代であり、古き良きものを根に持った彼女のほうがベテランジャーナリストのリーより優れているのでは、というメッセージでもあります。これは私自身が年を重ねたことで自分の気持ちや願いをダイレクトに物語に投影した部分も大きいと思います』
そんなジャーナリストたちを主役に据えた理由について、ガーランド監督はジャパンプレミアでこうも述べている。
『今の世の中で顕著になった変化のひとつに“ジャーナリストが敵視されがちになった”ということがあるように思います。これは腐敗した政治家たちがジャーナリズムを矮小化しようとしているからでしょう。
今様々な国では、ジャーナリストたちがデモを行なっている人々を取材しようとして唾を吐きかけられたり、言葉のみならず肉体的な暴力まで浴びせかけられたりするといった事態が頻発していますが、これは本当に狂気の沙汰です。国を守るため、我々の自由な生活を守るためにジャーナリズムは必須です。だからこそ、この映画では彼らをヒーローとして描きました』」(同)