自分がどうなろうと担当判事であるからには、ヤミ米は食べない。食べないと決めたら絶対に食べない。厳格なルールと行動原理の人。こうした頑なさは、非常にアメリカ映画的なキャラクターだと思う。
アメリカ映画のキャラクターとは、何より自分の行動原理に忠実。一度そうと決まったキャラクター(性格)からは決してブレない。例えば、主人公が悪役を倒すキャラ設定なら、どんな困難な状況の中で自分の生命を危険にさらそうともくじけることなく悪を倒す。いわば、悪を倒さなければならないという使命(キャラ設定)が遺伝子レベルですりこまれている。
花岡の場合のキャラクター設定とは、まさに「法がそうなっているから」。その性格に忠実である様は、明らかに遺伝子が指示してヤミ米を食べないかのようだ。もし食べたらその人がその人ではなくなる。だったら余計食べない。
花岡悟という極めてアメリカ映画的なキャラクターは、古典的ハリウッド映画俳優のようにまったく無駄がない演技をする岩田剛典が演じるから、なおさらに意味があったように思う。
◆花岡らしい美しい身振り
花岡の頑なさは、食べないこと以外にも指摘できる。明律大学時代の彼が、女子部からあがってきた寅子たちを蔑視の眼差しで見つめる第3週第15回の初登場の瞬間から顕著だった。
うわべは紳士的でありながら、その実とんでもない女性蔑視をする、頑なな男性中心主義者。第4週第18回、学友たちとのハイキングで、口論になった寅子にこずかれ、崖から落下する衝撃の場面がある。両腕を後ろに振り上げているのに、なかなか落下していかない歪(いびつ)な画面は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960年)で、探偵が階段から落下する場面のぎこちない動きとよく似ている。