◆自分のなかに社会が望む“男らしさ”が形成されていく

 自身の首を絞め続ける、漠然とした生きづらさの正体とは――。知らないうちに纏うようになっていた「男性」という鎧を一つひとつ脱ぎ捨てていくと、幼少期から青年期の原体験に辿り着いたという。

「『男は泣くな。辛くても歯を食いしばって耐えろ』と、父親からは口酸っぱく言われましたし、『男の子が母親に甘えるなんてマザコンだ』『スポーツができる方が男らしい』など、周りの大人たちからも、らしさの押しつけを受けてきた。そうした積み重ねによって、自分のなかに社会が望む“男らしさ”が形成されていき、いつの間にか『男たるもの』が紐づいた感情と思考に支配されていきました。

 その結果、僕の場合は、悲しみや不安や戸惑いといった、自分に不都合な感情に襲われると、そうした感情に蓋をして抑圧するか、あるいは、誰かにマウントすることで、偽りの自信を得ようとする傾向があることに気がついたんです。

 それは夫婦関係にも影響していて、妻との関わりの中でも、自分が不都合な感情に襲われたときは、それに蓋をして心の内を見せないように壁を作ったり、喧嘩をした際に相手を論破しようとするようなところがあったんです。これでは夫婦関係なんて到底作っていけないなと思い、それ以外の対処法を見つける努力をしたのですが、なかなか難しく……。

 今でもこれという方法は見つかっていないのですが、抑圧したり、ごまかそうとする前の感情、たとえば「悲しかった」とか「不安だった」とか、そういう自分の弱さを認めるような言葉を、あとになってでもいいから伝えるようにはしていますね」

◆“パパ”に対する社会からの無言の圧力

 不都合な感情と向き合えるようになり、少しずつ自身の弱さを認められるようになった白岩氏ですが、自身の中の固定観念を脱せるようになってきてからも、男性を型にはめようとする無言の圧力を社会から感じ続けたと振り返ります。