伴明 そう、袴田事件に関する裁判資料やノンフィクション本をいろいろ読んだんだけれども、あの事件はおかしなことだらけ。でも、当時の裁判構造の中で、警察側、検察側、裁判官側がそれぞれ使命感、正義感に基づいて動いた結果、あの判決を招いてしまった。当時のニュースを見たボクは、「一家4人を刺し殺した上に、放火するとは、なんて酷いヤツだ」と思ったわけです。当時の一般大衆の抱いた感情の落としどころでもあった。もし、あの裁判が無罪ということになっていたら、世論は大変な騒ぎになっていたでしょう。
──犯人がいないことには収まらなかった?
伴明 そういうことです。冤罪を生み出す、整合性のある道筋があったということです。冤罪の多くは、そういう構造から生まれているんです。「死刑になることが分かっていて、無実の人間が自白するなんてありえない」と思う人もいるでしょうけど、人間ってもうどうでもいいから早くその場を済ませて楽になりたいと思うものなんです。ボクもね、学生運動やっていた頃は、よく警察にパクられたけど、目の前の面倒なことを早く終わらせたいと考えるものなんです。袴田事件は生まれるべくして生まれた”冤罪”ですよ。
──殺人事件の再現シーン、取り調べシーンが生々しい迫力。かなり気を遣った撮影だったのでは?
伴明 今回、主任判事だった熊本典道さんには撮影前に挨拶だけはしましたが、事件の関係者にはなるべく会わないように努めました。やっぱりね、関係者に会うと情に引き込まれる危険がありますし、「こういうことは言ってない」とか言われる可能性もあるわけです。映画としての自由度は守りたかった。殺人事件の再現シーンは、あえて新井浩文演じる主人公が最初は犯人に見えるような演出です。当時はみんな、彼が犯人だと信じ込んでいたわけです。その後の取り調べシーンは、さじ加減が難しかった。静岡県警は拷問で有名なところで、昔は容疑者に焼きごてを当てたなんて言われているくらいで、袴田事件の実際の取り調べは映画で描いたよりもっと厳しかったと言われています。でも、警察側も凶悪犯を挙げるという正義感があってのこと。取り調べシーンは、これじゃあ自白しても仕方ないなぁと思わせる程度にとどめました。自分は袴田さんは無罪だと思っています。でも、この映画は観た人によって、「やっぱり、犯人はあいつだ」と意見が分かれてもいい。映画を観た人に考えてほしいのは、裁判の在り方そのものなんです。
いく元ボクサーの袴田(新井浩文)。身に
覚えのない証拠が裁判に提出されていく。
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