そう、親のあとを着いておいで、と先を歩くのではなく、子どもの自由意志を優先するのだ。きっとこれが重要なところ。12話かけてこれを描いていたように思う。

◆ドラマの終は曖昧な、でも心地よい余韻として

(C)フジテレビ
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最も自由だった水季は、夏を海と手紙で縛っているように見えるが、彼の選択の自由を一応、遺す。ひとはふたりで生まれてくる、ひとりで生きていくなんて無理、だからーーと。ひとりで生きていく自由も認めてくれよ。というのはさておく。

いつか、みんな、水季や海のことを忘れて、それぞれの道を歩むことになるのだろうか。津野や弥生がほかに愛する人をみつけ、子どもをつくり……ということがあるのだろうか。夏も弥生ではない誰かと海を育てていくことはあるのだろうか。

「はじまりは曖昧で終りはきっとない」と言うように、ドラマの終は曖昧な、でも心地よい余韻として終わる。ドラマは終わっても、彼らの人生は続いていく。

<文/木俣冬>

【木俣冬】

フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami