しかし何より解せないのは、道長と定澄の関係です。定澄からは脅迫され、流血事件まで起こされたにもかかわらず、寛弘3年(1006年)の夏の事件から、わずか2年後の寛弘5年(1008年)、道長は定澄の指導のもと、5月12日から22日まで10日ほどかけて法華経の重要な注釈書のひとつ「法華玄賛」について学んでいます(『御堂関白記』)。かねてより定澄は道長の金峯山参詣(御嶽詣)で奉仕するなど関係性が深かったようですが、不思議な関係というしかありません。現代人の感覚では、ここまでの信頼関係を築きうる関係とはまったく思えず、興味深いというしかないのでした。個人的にはこういう理解しがたい事実を知ることも、歴史を学ぶ面白さのひとつだと思っていますが……。