清少納言は橘則光との離婚後しばらくして、紫式部同様に20歳以上も年上で、父親の旧友だった藤原棟世という中級貴族の妻になりました。棟世の雇用や影響関係を残された史料から読み解くかぎり、彼は少なくとも熱心な「道長派」ではなかったようです。

 清少納言は彼との間に娘を一人授かったものの、宮廷でのキャリアウーマン志向が強かったので、棟世が国司として任国に赴いている時でさえも同行することはなく、別居期間が長い夫婦ではありました。

 しかし定子が亡くなった後、彼女は摂津守として任国(現在の大阪府北中部と兵庫県南東部)にいた棟世のもとを訪れたとあり(『清少納言集』)、いざとなった時には頼れる夫として藤原棟世という存在が「付かず離れず」、彼女の傍にはあったということです。

 次回以降、和泉式部(泉里香さん)などがドラマには登場するようですが、彼女もさまざまな男性との間に激しいドラマがあった人物でした。一方、史実の紫式部はすくなくとも記録に残る形では男女間のあれこれがもっとも見られない人物だったのに、その手から『源氏物語』という恋愛大河小説というべき作品が生まれているのは興味深いですね。

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