詮子は政治に介入することが多く、一条天皇の実母、つまり「国母」であることを背景にした強気な振る舞いも散見でき、藤原行成(ドラマでは渡辺大知さん)から母(詮子)の死を告げられた一条天皇は特に悲嘆を見せることもなかったそうです(『権記』)。天皇は最後まで母に頭は上がらなかったけれど、それは愛や尊敬ゆえではなかったということでしょう。

 詮子は、道長が冷遇しがちだった定子(高畑充希さん)の後見人になっていたのですが、一条天皇の目には、それさえも自分に取り入ろうとしている「ゴマすり」にしか見えなかったらしく、定子が亡くなった時には「甚(はなは)だ悲し」と言っていたのに(『権記』)、詮子の死については、天皇の口から哀悼の言葉は何も漏れてこなかったようです。

 また、詮子の埋葬においては道長が愛する詮子の遺骨を持って(ドラマ最後の「紀行」でも見られた)宇治・木幡山の藤原氏の墓所まで運んだ……という逸話が『大鏡』などには見られるのですが、残念ながらこれは史実ではなく、詮子の甥・藤原兼隆に任された役割だったそうです。ちなみに兼隆は前回もご紹介しましたが、まひろ(紫式部)の娘・賢子(福元愛悠さん→南沙良さん)の結婚相手でもありますね(賢子は妻の一人というポジション)。ドラマでは、まひろの母を殺した道兼の息子にあたりますが、いまのところ未登場です。

 さて、前回は清少納言(ファーストサマーウイカさん)が「皇后さま」こと、定子の遺徳を偲んで書いた『枕草子』が藤原伊周の手で一条天皇に渡され、宮中に広められるというシーンがありました。道長を恨む清少納言のセリフが聞かれましたが、実際はどうだったのか気になるという声もありました。

 清少納言は、紫式部のように公開を目的とした日記は残しておらず、『枕草子』も定子の影の部分については意識的に触れない作品でしたから、『枕草子』に「定子さまを追い詰める道長にくし」という影口は出てきません。