やっかいだったのが、ここでのキャッチボールの上手さは物語の意味を表現する部分だったんです。反復練習によって身体に染み付いた動作は記憶を失っても再現できるという、いわゆる「手続き記憶」について語る場面。

 ここでハルトのキャッチボールが上手くないと何が起こるかというと、今のハルトの状態について「完全に手続き記憶が回復して完璧にキャッチボールをしている」と言いたいのか、「手続き記憶の回復も完全ではなく、本来もっとスムーズに投げられるのに、ぎこちなくなってる」と言いたいのか、見ている側が判断できなくなる。直前にそこでキャッチボールをしていた小学生の子役が明らかに野球経験者の投げ方をしていたこともあって、悪目立ちしてましたね。ハルトはボールを持った腕を上げる動作から投げ始めてましたけど、経験者なら絶対に初動は下半身なんです。そのほうがラクだから。

 まあでも、これはどうでもいいや。これでドラマの出来が云々って言うのは意地悪すぎるし、単なるお芝居あるあるです。はい。

(文=どらまっ子AKIちゃん)