原作マンガとアニメ映画との違い
続いて、原作である柊あおい先生の『耳をすませば』とスタジオジブリ作品の違いについて紹介します。ストーリーの内容や、登場人物の設定や、登場人物自体に違いがあるので、ぜひチェックしてみて下さい。
違い①雫と聖司の学年
スタジオジブリの『耳をすませば』では、月島雫と天沢聖司は中学3年生でした。しかし、原作の柊あおい先生による『耳をすませば』では、月島雫、天沢聖司共に中学1年生になっています。
ジブリ映画の方では、物語自体が中学3年生特有の進路の悩みであったり、恋愛模様が描かれているため、雫たちを中学3年生にする必要があったでしょう。しかし、ジブリ作品の方は多少昔の話だとしても、雫や聖司があまりにも恋愛初心者すぎる違和感を感じた方も多いのでしょう。
それは、原作の設定が中学1年生だと言うことに関連していたのです。また、原作の方では『耳をすませば』は4話で終わっていますが、その後が描かれた『耳をすませば 幸せな時間』では雫、天沢聖司は中学3年生になっています。
違い➁聖司の兄&雫の姉の設定
スタジオジブリの『耳をすませば』では雫の姉は登場していますが、天沢聖司の家族については祖父の西司朗のみが登場していました。しかし、原作では、天沢聖司の兄も登場しており、兄の船司と雫の姉の月島汐は恋人関係にもなっているのです。
また、雫の姉である月島汐は、ジブリ作品の中だとスポーツが好きな活発な大学生で、雫が勉強をしないと怒るようなお母さん的要素も持つ人物でしたが、原作では高校1年生のおっとりとした女の子として描かれていました。
さらに、天沢船司も写真が趣味の好青年と言う設定で、学校の先生からは変人とも言われていたようです。原作の雫と天沢聖司には、兄弟同士が恋人だった接点があったので、二人はお互いのことを知りやすい関係性だったのでしょう。
違い③聖司の将来の夢
スタジオジブリの『耳をすませば』では、天沢聖司はヴァイオリン職人を夢見る少年でした。そして、中学卒業と同時にヴァイオリン職人の修行のためイタリアに渡っており、そこで雫と別れを迎えています。
ところが、原作の天沢聖司の将来の夢は画家なのです。原作の天沢聖司は幼少期から絵を描くことが大好きで、中学1年生の時点でかなりの腕がある設定になっています。ここでも、原作とジブリでは大きく違う設定にしているため、物語のラストも違う終わり方を迎えていることがわかるでしょう。
違い④登場する猫
ジブリ作品の『耳をすませば』では、『猫の恩返し』に登場するムタのような猫が登場しています。そのムタのモデルである猫と雫が出会ったことで「地球屋」を発見し、天沢聖司とも関りができたかなり重要なキャラクターです。ところが、原作の『猫の恩返し』に登場するのは2匹の黒猫のルナとムーンでした。
ジブリではなぜ黒猫のルナとムーンではなく、白くて大きいムタ体型の猫にしたかと言うと、ジブリ作品の黒猫と言えば『魔女の宅急便』のジジで、同じキャラ設定を二度も使わない宮崎駿監督のこだわりが関係しているようです。
また、ジブリ作品の『猫の恩返し』は『耳をすませば』の雫が書いた作品と言う裏設定があるのですが、『耳をすませば』で登場した猫をモチーフにしたムタを『猫の恩返し』で登場させ、ムタの本名を「ルナルド・ムーン」と名付けています。こちらで原作の黒猫のルナとムーンが拾われているのでしょう。
違い⑤「カントリーロード」の有無
ジブリ『耳をすませば』といえば『カントリーロード』ですが、原作の『耳をすませば』では『カントリーロード』自体が登場しないので、印象深い歌唱シーンも描かれていません。
元々ジブリ作品の方では天沢聖司の将来の夢はヴァイオリン職人で、ヴァイオリンも演奏できることを雫に見えるために「カントリーロード」のシーンが登場しました。しかし、原作の天沢聖司の夢は画家でヴァイオリンとの関連性もないので、「カントリーロード」を演奏することもないのです。
また、映画は音も表現できるため「カントリーロード」のシーンが作れたのでしょう。さらに、ジブリ作品の劇中に雫がオリジナルで歌詞を変えた「コントリーロード」は宮崎駿監督自らが作詞し、シングル曲として販売された際はオリコンランキングトップ10の中に見事ランクインしました。
違い⑥結末に伝える愛の言葉
原作の『耳をすませば』のラストは聖司が「君が好きだ」と言い、雫が「あなたが好き」と想いを伝えあい両想いになりハッピーエンドを迎えています。ここでもジブリ作品とはかなり違う終わり方で、ジブリ作品の方ではイタリアに旅立つ聖司が雫にプロポーズをして終わっているのです。
原作では少女マンガでもよくある両想いになって気持ちが良いハッピーエンドなのに対し、ジブリでは日本とイタリアと離れ離れになる切ない背景の中で、雫を誰かに取られたくない聖司がプロポーズをしました。
ジブリ作品のラストは完璧な恋人同士にはならず、その後離れて生活する切なさも相まって深い終わり方になっています。