宮台氏に酷評されたアニメ版『耳をすませば』でしたが、世間は宮崎駿監督のイメージする「清純かつ優しい理想的な」ヒロインを愛し、興行的にも成功を収めました。こうなると、もうスタジオジブリには、「宮崎・高畑が作れない」ような新しい作品を企画する存在は現れません。『ハウルの動く城』(2004年)には東映アニメーションにいた若手時代の細田守監督が招かれましたが、細田監督はジブリの空気が合わずに途中降板するはめに。ジブリが世代交代できなかった要因のひとつに、『海がきこえる』から『耳をすませば』への流れがあったように思います。

 ジブリ次世代への橋渡し役として期待されていた近藤喜文監督は、アニメ版『耳をすませば』が公開された2年半後に47歳の若さで亡くなりました。先週(5月3日)放映された『耳をすませば』のスピンオフ作品『猫の恩返し』(2002年)に起用された森田宏幸監督は、ジブリを離れた後にTVアニメ『ぼくらの』を2007年に手掛けています。『ぼくらの』はいわゆる巨大ロボットアニメですが、巨大ロボットを操縦する15人の少年少女たちは、敵を倒すごとに一人ずつ亡くなるという非常に残酷なストーリーです。作品を完成させるごとにスタッフが次々と倒れていくという、アニメ界の残酷さをリアルに反映したかのような内容でした。もはや、日本は実写映画よりもアニメ作品のほうがリアリティーがあるのかもしれません。

 もちろん、将来のある若者たちが夢を持ち、好きな人に想いを寄せることは、素晴らしいことです。でも、夢を追い続けることにこだわり過ぎ、初恋の相手のことが忘れられずに、しょっぱい人生を送ってしまった人が大勢いることも覚えておいたほうがいいんじゃないですか。夢を諦めた人や恋愛に失敗した人にも優しい映画やドラマが、少しはあってもいいと思いますよ。