タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(07)という映画で、女性たちに延々と無駄話をさせることで、そのあとのシーンとのギャップを生むということをやっていたんですが、あの感じね。マジでもう聞いてらんないわというくらいどうでもいい話をしている女性3人が、それぞれ“切れ者”であったが故に事件の真相にたどり着いてしまう。たどり着いてしまったから、解決できてしまう。

『ギークス』というドラマはそういう「日常」と「異能」のギャップを目指したものでしょうから、ミステリーと同じくらいの比重で意味のない居酒屋タイムをやってほしい。疎かにしてほしくないわけです。彼女たちに無駄話をもっと楽しんでほしいし、居酒屋ごはんももっと美味しそうに食べてほしい。たぶん、コンセプトはそっちだったと思うので。

 意味のない無駄話を撮るって、勇気が要ることだし脚本も難しいでしょうけれども。

(文=どらまっ子AKIちゃん)