この当時、辞表は3回提出し、3回目に天皇からの回答が来るのが通例であり、それが一種の「お約束」だったのですが、気弱になった道長の場合は「辞めないで」と天皇から言ってもらえるまでは辞表を出し続ける、それは厄介なおじさんと化していたことが推察できて実に興味深いものがあります。

 ちなみに一条天皇は、道長のコントロールには長けていましたが、次代の帝・三条天皇(ドラマでは木村達成さん)はあまり得意ではなかったとされます。そして、道長と三条天皇の折り合いは非常に悪かったことで有名です。「あなたに必要だといわれたい!」と迫ってくる(やることはエグいわりに)病弱メンヘラおじさん・道長を掌中の珠(たま)としてうまく転がすことができるか――それが平安時代中期の帝王としての求められる資質のひとつだったのかもしれません。

 お話を長徳4年(998年)に戻すと、この年の5月には「疱瘡・疫癘、遍満の事」(『小記目録』)という記述も見られます。長徳4年は、日本で最初の麻疹(はしか)の大流行が始まった年としても有名ですね。

 ドラマにも水害にあった藤原為時(岸谷五朗さん)の屋敷(つまり、まひろたちが暮らす屋敷)の様子が描かれていましたが、こうした洪水後には伝染病が蔓延するのが常でした。『枕草子』に描かれた宮廷文化華やかなりし時代というイメージとは異なり、実際はかなりの難事続きであったことがうかがえるのです。

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