【第5週】当時の「司法」批判とは? 検察“でっちあげ”の帝人事件
先週(第5週)は、昭和9年(1934年)に本当に起きた「帝人事件」を下敷きにしたのであろう贈収賄事件に、銀行マンだった猪爪寅子の父・直言(なおこと)が巻き込まれるという驚がくの内容でした。
三淵嘉子さんの父親・武藤貞雄さんも台湾銀行に勤務しており、彼とは直接関係なくても、「帝人事件」で同銀行内から逮捕者が出たことは史実ですから、そのあたりからの空想でしょうか。
実際の事件では16人もの被疑者たちが200日以上にも渡る長期勾留を受け、ドラマにも出てきた革手錠などの不当かつ過酷な扱いがなされていましたし、昭和10年(35年)に裁判が始まってからも、全員に無罪判決が降りるまで約2年もかかるなど、これをドラマで取り上げるとなれば、今後の『虎に翼』の方向性がまったく見えない状態になってしまったので、先週は連載をお休みさせていただきました。
今回も「帝人事件」について延々と解説するのは避けますが、1920年代後半から、30年代前半当時の日本はドラマで描かれる以上に不景気とインフレが広まった時代でした。
ときの首相・斎藤実(さいとうまこと)を退陣させるべく、軍部にも顔が利く右翼の大物だった平沼騏一郎などを中心とする勢力が仕組んだ“でっちあげ”事件だったとみられています。昭和12年(1937年)12月16日の東京地方裁判所による判決文では、すべては検察がでっちあげた「空中の楼閣」、つまり架空のスキャンダルにすぎなかったという判断がくだりました。
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