◆“ある生みの母”との対話で強く思ったこと
――かつて特別養子縁組制度で赤ちゃんを託したという女性と会い対話をし、涙を流されていた場面もありました。あの時どのようなことが胸に去来されていたのでしょうか?
久保田:すごくいろいろなことを考えていて、まずどうしてこれほど子どもの幸せを考えている人が自分で育てられないんだろう、と。話を聞いていくとわかるのですが、それは必ずしもその女性の方に起因した問題ではありません。こんなに子どものことを思っているのに環境が許してくれない、つまり環境をどうにかしなきゃいけないと強く思いました。
社会に対してなぜ育てたいと思う人が諦めなくてはいけない状況に追いやられるのだろう、育てられないのだろうという思いが巡っていました。きっと娘の生みの親も娘のことを大切に思ってくれて、娘の幸せを思って私たちに委ねてくれたんだということは伝えていきたいなと改めて思いました。
――ところで映画の冒頭、子育てに励み始めた久保田さんが「ママごっこをしてるような虚構感」があると語る場面がありました。その気持ちは今現在は解消されましたか?
久保田:あのころは、すごい幸せなんだけど、これでいいのかな。ママって呼ばれていいのかなっていう。ずっと考えていましたね。でも、今はそんなふうに考えることがなくなりました。一番大きいのは、やっぱり娘がわたしのことを母親だと、ママだと認めてくれることがすごくよく分かるからだと思います。
3か月くらいのとき、本当に信じられない奇跡が起きたっていうくらい、毎日とっても楽しく、こんな幸せになることあるんだと思って過ごしてたんですけど、一方で、自分は産んでないじゃないかっていう思いを払拭できませんでした。
結局「産まなきゃ親になれない」っていう固定観念に悩まされていたんですよね。それまでも言葉では自由なほうがいい、多様性が大切だってずっと思っていたし、言っていたと思うのですが、実際自分がその呪縛から解き放たれるまでには、少し時間が必要でした。