バカリズムの話に考える、ムダを論じることのムダさ

 一方で、マツコのタイパ批判は「うまい」だけではなく、いま必要とされるものだと思う。

 タイパに限らず、「〇〇がムダ」という考え方をする人はいる。例えば、2月25日放送の『ドーナツトーク』(TBS系)で「なくしたいムダな時間」という話題になったとき、カンニング竹山が「古文が人生に一度も役立っていない」とコメントし、SNSで古典の授業は必要か不要か論争が起きたことは記憶に新しい。

 テレビやSNSでは極端な2択をめぐる論争が好まれ、バズる傾向があるので、番組としてはしてやったりだろう。私自身も大学受験に必要だから仕方なく勉強したものの、古文や漢文ってなんの役に立つのか疑問に思ったことはあるので、「〇〇がムダ」論争が盛り上がるのは、理解できる。けれど、年齢が上がって思うのは、ムダを論じることのムダさである。

 せっかちな人は、時間をムダにしたくないという。2月22日放送の『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に出演したバカリズムは、極度のせっかちのため、ウーバーイーツの配達員がインターホンを鳴らす前から、ドアの前に立っているエピソードを共演者に暴露されていた。

 バカリズムのそれは素早く商品を手にできるし、配達員もスムーズに商品を渡せるとあって、「せっかちが成功している」ケースといえるが、せっかちゆえにやることが雑になってしまい、二度手間になることもあると話していた。時間を節約するためのせっかちで、手間が増えては本末転倒だろう。こうやって考えてみると、せっかちという気質そのものだってムダといえるわけだ。