◆両親との対話は「エネルギーが必要だった」
――このドキュメンタリー映画の中でご両親に会いに行くくだりがありましたが、もしかしたら当初の構想としてはなかったものなのでしょうか?
久保田:父母と話をしたいなとは常々思っていて、数年前から撮影をしていました。これも映画のためでなく、個人的に記録に残したかったからです。はじめは、父も母も嫌がるかなと思ったんですが、レンズを向けながら問いかけていくと、まあ、話す、話す、言葉があふれ出してびっくりしました。カメラやマイクには不思議な力があるのかもしれません。そして、もしかしたら、話を聞いてほしいけど、私が聞こうとしていなかったということもあるのかもしれないとも思いました。
おそらく普通にご飯を食べながらの日常会話ではなかなか深い話をすることも難しいですよね。よかったら皆さんにも、しっかり話を聞くという改まった機会をつくってみてほしいなと思います。
――そのお母さんとの本音の対話のシーンがとても印象的でした。幼い頃から積もり積もった想いもあるなか、あの場に座るまでにかなり覚悟していかれたのではないかと想像しましたが、その点はいかがでしょうか?
久保田:そうですね。撮ろう撮ろうと思って何度か広島の実家には行っていたのですが、実際には「じゃあ今から撮ろう」とはなかなか言い出せないでいました。
これは本当に難しくて、それこそ娘に真実告知をしているときも、自然な日常の中で当たり前のことのように伝えようと思うのですが、普段やっていないと自分の気持ちをそのまま相手に伝えることってなかなか難しいんですよね。 両親との対話は、そもそもほとんど機会がなかったので、それを作り出そうとするためには、結構なエネルギーが必要でした。
でも、対話をして本当に良かったです。これからも継続していきたいですす。なるほど、こういうふうに誤解が解けていったり、 お互いが分かり合えていくんだな、こうでもしなかったら勝手に自分の中で“親ってこういう人”という偏ったイメージ持ったままで付き合い続けていただろうなって、毎回発見があります。