◆自分の中に卑しさ、浅ましさを感じて、苦しんできた紅葉
だから大勢の輪に入っていくし、求められたい。でも「目立つやつと一緒にいて」輪に埋もれれば埋もれるほど、「いいように使われて」いるだけの自分を感じて、隣に孤独があることを察知し始める。だから、ひとりぼっちを見つけては、“利用”してきた。裏切られない、傷つけられない確証があるから。孤独にならずに済む。
「いつも1人でいるやつを見つけては、一緒にいてあげた」という言葉も、本当は、自分を裏切らない相手に、一緒にいてもらったのだろう。でも自分は目立つやつらの中に入ることもでき、入れない“ぼっち”とは違うという気持ちもある。あのうなされ様からも、紅葉は自分の行為を、「優しいふり」などという表現では留まらない、卑しさ、浅ましさだと感じて、ずっと悪夢に苦しめられてきたのではないだろうか。
でも誰にだって打算はある。友達になろうとするのにだって、「寂しかったから」も至極まっとうな理由だ。「ぼっちなら、裏切られないと思ったから」という気持ちがあったとして、それが浅ましいことなのだろうか。篠宮(葉山奨之)やゆくえの言う通り、相手が優しさと感じたなら、それは優しさでいい。
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