この国にあるのは「建前の民主主義」だけである。タモリがいったとかいう「新しい戦前」という言葉が独り歩きしている。なんら中身のないものだが、メディアはまるで「今の現実を映し出す名言」のようにもてはやし、それについて識者たちがあれこれ論じている。

 そんな虚しい言葉より、戦争のできる国、戦争で国民を死なせてもいいと動き出した岸田政権の危険極まりない暴挙を、今すぐに止めることの方が重大事であること、いうまでもない。

 あの時の西山のやったことのすべてが正しいなどとは思っていない。

 だが、当時の佐藤政権がやっていた「亡国の密約」を暴き、国民に知らせようというジャーナリスト魂は、誰かが受け継がなくてはいけなかったはずである。

「西山敗れて山河あり」。この国の民が、「もう二度と戦争はしません」と「正気」になるためには、もう一度戦争をしなくてはならないのかもしれない。今の日本を見ていると、そんな気になる。今度の戦争は第二次世界大戦の時よりも悲惨になる。なぜなら、あの時は自国の利益のために無謀な戦争を始めたが、次の戦争は、アメリカに引きずられて仕方なくやる戦争になるはずである。他国の戦争に巻き込まれて多くの日本人が「無駄死に」をするのだ。 

 そのうち政府は、無駄飯を食っている年寄りは弾除けに狩り出せとでもいい出すかもしれない。この国は狂い始めている。否、すでに狂っているのかもしれない。