さて、日本電産という会社がある。世界最大手のモーターメーカーで、今年で創業50年になるという。
現会長の永守重信(78)ら4人で始めたが、いまや売上高は2兆円に迫るという。従業員数はグループ全体で11万人を超える。
そんな会社で「大量退職」が起きているとポストが報じている。グループの人数は多いが、本体の社員は2500人余りで、そんな規模なのに、昨年4月から12月末までに292人の社員が退職。とりわけ冬のボーナスが支給された12月に77人が退社していたというのである。
いったい何が起きているのか?
元幹部社員が、「一言で言うなら、時代にそぐわない経営理念について行けなくなったからです」と話している。
彼は、永守と一緒に食事をした時、彼の著書には「早飯せよ」とあったので手早く済ませたら、永守から「お前早いな」といわれたそうだ。秘書室の方から、「会長が弁当箱の蓋を開けてかから蓋を開け、会長が箸を置いてから箸を置くよう」にといわれたという。
「ここまで細かく言われるのかと驚きました」(元幹部社員)
創業者というのは、自分がここまでしたのだから、下の者はオレがやってきた半分でもやってみろという“思い込み”をする人間が多いが、この永守という人も同じようなのであろう。
休まない、死ぬまでやるのが当たり前で、業績が上がらなければ批判し、首を挿げ替える。
「日本電産がモーター事業で独り勝ちする時代は終わった。車載事業の要でもある電動アクスル(EVの基幹デバイス)は、トヨタや日産、ホンダら自動車メーカーを始め欧米企業もシェアを拡大するなど、競合他社がひしめく。
この正念場にあって、古い精神論に拘泥する姿勢は、企業としての成長を阻害し社員を不幸にするばかりではないか」(ポスト)
永守会長は優れた経営者ではあったのだろうが、時代は刻々と変わる。自分は退いて、次の者に任せるぐらいの“度量”がなくては、これからの時代を生き抜いていくのは難しい。
老兵は静かに去っていくのが一番いい。創業以上に難しいのは後継である。任せたら一切口を出さない。京セラの稲森和夫と永守の差はそこにあると、私は思う。