だが、週刊新潮が、これは西山が女性事務官と「秘かに情を通じて」手に入れたものだと報じて流れは変わった。
この文言は、東京地検特捜部検事佐藤道夫が、政権へのダメージを減じるために考え出したといわれている。沖縄密約は一転、女性スキャンダルにすり替えられてしまったのだ。
新聞はそれまで、「知る権利に答えろ」と大声で勇ましい声をあげていたのに、新潮の報道が出ると、急にすごすごと戦線を縮小し、その声さえも消えていってしまったのである。
どんな方法で手に入れようと、沖縄返還に密約があることを国民に知らせた西山記者を庇い、知る権利に答えず、女性スキャンダルにすり替えた佐藤政権を批判するべきなのに、なぜマスコミは撤退してしまったのか。
大新聞が後生大事に持っている「知る権利」なんて、それほどのものでしかないんだと思った。
この西山事件は「新聞が死んだ日」といわれる。以来、その後遺症は今日まで続いている。
密約文書の開示を求めて起こした訴訟人の端っこに私も名を連ねていた。だが、最高裁は認めなかった。
西山事件の頃は、新聞を含めたマスコミに、国民は少なからず期待を持っていた。だが、あのころと比べると、マスゴミとまでいわれるように、国民の期待はほとんどないに等しい。
それに、今は特定秘密保護法までできたため、政府に都合の悪い機密の暴露はよほどの覚悟がなければやる人間など出てこないのではないか。
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