「もしもピアノが弾けたなら」

 西田敏行の往年のヒット曲です。だけど僕にはピアノがない、それを聞かせる腕もない。その歌が多くの人の共感を呼んだのは、誰も天才ではないからです。天才でない人たちには、センチメンタルが必要です。ひととき、自己憐憫に浸ることで、また明日からを生きていける。

 一方で、腕がないなら練習すればいいじゃん1日8時間でも12時間でも。それが天才たちの発想でしょう。

 彼らにはきっと、「やる」と「やらない」しかないんですよね。仕事において「やろうとしたけど、できなかった」がない。悲しいね、切ないね、そう言って慰め合える仲間もいない。逃げ道がないから、共感を得られない。共感を得られない決断は、人を傷つける。センチメンタルに浸る権利がないんだ。天才ってのも楽じゃなさそうだね。今回は、そんなお話でした。

 ドラマの視点がマエストロ個人に向けられたことで、彼が音楽を始めた理由も、5年前に辞めた理由も明かされていないことに気づかされました。まだまだこのドラマには、語ることが残っているようです。ベタな群像劇でマエストロという天才の「周囲からの見え方」を語り尽くしておいて、後半でその内面に迫っていく。なかなかダイナミックな作劇をやってるなぁと思います。

 このドラマ、超おもしろいんですけど、どうなんですかね。

(文=どらまっ子AKIちゃん)