■才能とセンチメンタルと
せっかくドイツから極上オファーを取ってきたのにマエストロに断られてしまったマネジャー鏑木くんは激昂します。
「あなたは特別な人なんですよ! いつまで自分にウソをつくんですか!」
5年前、マエストロは突然コンダクターの仕事を辞めて、隠居していました。鏑木くんはそれからずっと、マエストロが再び指揮棒を持つ日を待っていた。日本の地方オケでタクトを振っていることを聞きつけ、わざわざヨーロッパから舞い戻ってきたのでした。それほどマエストロの才能にほれこんでいたからこそ、感情が爆発してしまいます。
「あなたは特別な人なんですよ!」という叫びは、同時に「私は特別な人ではない!」という告白でもあります。鏑木くんの振る舞いは、才能を持たざる者から持つ者への一方的な強要にすぎない。当然、マエストロには断る権利があるし、この国は憲法で職業選択の自由を保障しています。
マエストロにフラれた鏑木くんと、楽器が下手なこむちゃんが才能について語り合うシーンがあります。自分たちには音楽の才能がなかった。才能がうらやましい。あんなふうに、演奏してみたい。実にセンチメンタルで、美しいシーンです。