東京進出の足がかりとなったのは、1988年にスタートした『夢で逢えたら』フジテレビ系)。ウッチャンナンチャンと共演し、今や伝説と化しているバラエティー番組である。
当時、松本は東京に居を構えたが、プライベートは大阪にも軸足を置いた。
後輩芸人たちによる松本への上納システムの原点は、この大阪時代に遡るという。
1990年の夏、松本や後輩芸人たちのたまり場になっていたのは、東大阪市内のラブホテル「S」だったという。
そして、ダウンタウンが栄華を極める一方で、マネージャーの大崎洋も歩調を合わせるかのように出世を果たす。2001年に役員となると、専務、副社長を経て、2009年には社長に就任する。
「映画撮影など、松本の希望は何でも通り、彼に異を唱える芸人、社員はますます減っていった」(元社員)
「一方、松本の女性関係はより淡白で刹那的になっていった。言い換えれば、より効率的に多数の女性と関係を持とうとしたのだ。
『松本さんを頂点とする上納システムが構築されたのは二十年以上前。当時、私は売れるために松本さんに女性を調達していました。ところが、それは簡単なことではない。後輩芸人たちは、『女の子が集まらなくて、しんどい』と愚痴を言い合っていました』(元芸人) 」(文春)
松本を知る元吉本社員は次のように喝破した。
「モテモテだった2丁目劇場の時代から時が止まっているのではないか。齢五十を超え、システマチックに二十代の一般女性を相手にしていれば、トラブルは必然でしょう。彼らはダウンタウンの全盛期を知らないわけだから。お笑いのキングが聞いて呆れる。芸人なら、まずはその場で笑わせろよって話ですよ」
たしかに、文春の報道によれば、被害女性たちはほとんどが、松本から恐怖感や圧迫感は覚えたが、笑わせてもらったことはないと証言している。
先の木村は、吉本興業の構造的な歪みを指摘し、「ダウンタウン株式会社」と表現する。
「今の社長、副社長は、松本の元マネージャーであり、力関係で言えば松本のほうが上です。彼らは松本に意見なんてできません。今回の問題にしても『やめたほうがいいんじゃないか』と苦言を呈する人がいなかった。それが不幸ですね」
下積み時代を支えたママは、
「あの頃と今と、どっちが幸せなんやろうね……」
そういって、松本の芸人人生に思いを馳せたという。
裁判が始まっても、松本人志が出廷するのは来年になるとスポーツ紙が報じている。(文中敬称略)
【巻末付録】
まずは現代からいこう。
「橋本環奈 地中海の風に誘われて」「教育番組の元ジュニアアイドル 紫藤るい」
「上田操『マッチ』したかも…」。少しグラビアページが増えたな。
お次はポスト。
「ときちゃん旋風到来! 限界に挑んだ初セミヌードをアンコール掲載」「甘美な濡れバストの舞姫 もも」
袋とじ「赤い逃避行 新藤まなみ」
私の好みは上田操だな。ときちゃんもいいな!