ジャニー喜多川のときと同じように、被害を受けたと名乗り出てきた勇気ある証言者に対して、聞くに堪えない中傷やバッシングをするジャニーズファンたちのやり方と同じようなことが、“松本事件”でも起こっているようである。

 当然ながらそうしたバッシングは文春にも向けられ、文春は日本の恥、どうせ金儲けのためといった声がSNSでまき散らされてもいるようだ。

 それぐらいのことでめげる文春編集部ではあるまいが、そうした事態を招いたのは、第一報を掲載した号が完売になった時の竹田聖編集長のコメントにもあったと思う。

「今回の完売、本当に嬉しく思います。ご愛読、誠にありがとうございます。紙の雑誌よりもスマホで情報を得るのが益々当たり前となっている昨今ですが、それでも、『スクープの力』は実に大きいのだと改めて実感しています」

 他人の隠しておきたい恥部を暴いておいて、完売して嬉しいというのかと、熱狂的な松本ファンだけでなく、普段から週刊誌を毛嫌いしている連中の神経も逆撫でしてしまったのではないか。

 編集長の嬉しい気持ちもわかるが、それを外へ向かっていうべきではなかったはずである。

 前からいっているように、今回の裁判は文春側には厳しいものになるとは思うが、「週刊誌の興廃この一戦にあり」の気持ちで臨んでほしいものである。

 さて、今週の松本人志は、彼の生い立ちから漫才、お笑い界で名を成すまでを辿っている。

 松本は兵庫県尼崎市で3人きょうだいの末っ子として生まれたそうである。無口でいじめられ子だった彼が熱中したのは、お笑いだった。

 小学校時代、舞台装置の仕事をしていた父が招待券を入手し、家族で「うめだ花月」に通い始めたというのだ。

「小学五年生の頃、当時流行っていたお笑いトリオ『レッツゴー三匹』を真似して、松本は同級生と三人で『コマ第三支部』を結成して、お楽しみ会で漫才を披露しとった。毎回ネタを作っていたのは松本ですわ」(小中学校時代の同級生)

 その頃、松本は1人の同級生と出会う。パーマ頭にパンタロンという風変わりな出で立ちの少年こそ、後にコンビを組む浜田雅功であった。

 だが、中学を卒業すると2人は別々の道に進んだ。浜田は三重県の全寮制高校に進学、松本は兵庫県立尼崎工業高校に進学した。その3年間は暗黒時代だったという。当時の同級生はこう語る。

「校内は荒れ果て、イジメが横行。数人の生徒をターゲットにして、焚き火と称して、椅子にグルグル巻きにして火をつけたりしていた。松本は三、四人のやんちゃなグループに属していたけど、大人しくて目立たへんかったわ」(当時の同級生)

 高校卒業後、松本は印刷会社から内定を受ける。初任給18万円という好待遇だったという。ところが、松本は断りの連絡を入れたそうだ。

 内定辞退のきっかけは浜田のひと声だった。高校卒業後、浜田は競艇選手になるための試験を受けたが、あえなく合格切符を逃した。そんな彼の心に留まったのは、「新人タレント募集」というNSC吉本総合芸術学院)の一期生を募るポスターだった。

「浜田は専門学校に行くつもりでNSCを選び、松本はまともに就職する人生に疑問を持って浜田の誘いに乗ったと語っていました。