◆和宮の本当の名が、“親子”だという皮肉

一方、母・観行院(平岩紙)は、息子に会いたいあまり、正気を失い始めた。やがて和宮の願いにより、江戸を離れることになるも、最後まで娘に愛情を注ぐことはなかった。観行院は、娘を愛せない親だった。和宮の本当の名が、親子というのは、なんという皮肉なのだろうか。

しかし彼女には家茂がいた。和宮が「上さん、私、京に戻ろかて思うねや」と話した際、いつも笑顔の家茂が、帝の御宸翰(ごしんかん:天皇自筆の文書)を手に「開けなさい!」と珍しく声を荒げた。「宮さまと一緒にいるために」いただいてきたのだと言いながら。そして和宮は、自分にとっての“光”なのだと改めて伝えた。

和宮は、家茂に、自分では“本当の夫婦になれない”と、ずっと気にしていたが、家茂はそうした常識をふわりと超えてしまう大きさを見せる。家茂は、和宮こそ、ともに生きていきたいパートナーなのだと確信していた。自分に向けられた嘘のない強さに、和宮も共鳴していく。

しかし政局は少しも静まることなく、家茂は上洛を重ねることになる。