◆家茂は、会いたい。親子さまに会いたいと。

だが、家茂と和宮が近づいていく様子に、リーダーとしてより前に、家茂自身の幸せを見つめて欲しいと願わずにはいられなくなる。

家茂にとって“光”だという和宮が、自ら光を発し始めたのだから。月のものが無くなっている家茂に、草履を用意して「散歩でもしません」と声をかけ、脚気を患い倒れれば「(豚肉の料理を)食べた? 上さん、これ食べた?」とかいがいしく心配する。そして、家茂の最後の上洛の際、「行かんといて。お願い。頼むし」と必死に懇願した。それは自分が辛いからではなく、何より家茂の身を案じていたから。

それでも“おせっかい”な家茂は、帝のもとへと向かった。そして大阪城で薨去(こうきょ)したのだった。享年20歳(数え年で21歳)。

家茂、最期の様子を聞く和宮と、家茂のその様を見るのは、本当に辛かった。「死にたくない。こんなところで。宮さまと約束したんだもの」と息も絶え絶えに、胸をかきむしりながら家茂が声を絞る。「会いたい。宮に会いたい。大奥に帰りたい。親子さまに会いたい」と。