■島田紳助は、漫才に「お返し」がしたかった

「その漫才プロジェクトを盛り上げるために、社内キャンペーンとか、イベントをやったんですよ。NGKで『漫才大計画』っていう漫才師だけのイベントを始めて。昼の公演が6時前くらいに終わるでしょう、そしたら帰りかけてるお客さんの前にMCが出て行って『今から漫才大計画というイベントをやりますので、残ってください。そのまま無料で見られます』くらいのことを言って残ってもらって。最初は50人くらいですかね。チケットも売ってたんですけど、チケットを買って入ってくれるような人は、ホントにもう10人もいなかったと思うんですけど、だんだん増えてきて1階席が満席になるくらいにはなりましたね。400~500人。そんなんをやったり、あとはテレビ局に行って漫才の番組作ってくださいとかやってんですけど、このままこういうことをやってても、漫才ブームのようなものはたぶん来ないなと。ちっちゃなことをやってるだけでね、大爆発は起きないなと思ってたんですよ。ちょっとずつは盛り上がってきてるんですけど、なんかモヤモヤしてましたね」

 そんな折、谷は読売テレビの間寛平の楽屋に行った。谷はかつて寛平の担当マネジャーしていた、旧知の仲である。

「寛平さんに話を聞いてもらおうと思ったんです。寛平さんと話したら気持ちが和らぐんちゃうか、ほっこりするんちゃうかと思って、寛平さんとか仁鶴さんといろんな話をして、まあ帰りますわ言うて帰りかけたときに、隣の楽屋を見たら『島田紳助様』って書いてたんですね。ああ、紳助さんもいるんやと思って、ノックして紳助さんに会うたら、『どうしたんや』みたいな感じで」

 この偶然が、大きなうねりを生み出すことになる。

「紳助さんもだいぶ前に漫才を辞めてたんで、漫才にはもう興味ないんかなと思ってたんです。けど、僕が漫才プロジェクトっていうのをやってましてって話をしたら、盛り上がってですね。それはいいこっちゃ、と。紳助さんという人は、漫才界に何かお返しをしたいという気持ちがあったんでしょうね。自分を育ててくれたのは漫才や、それを辞めてしまったんで、心の中にわだかまりがあって、お返しをしたいという気持ちがあるから、漫才プロジェクトはいいことや、と、ずっと話し込んでね」

 それから3日後、静かに『M-1グランプリ』が動き出した。

「お笑いファン」vol.3につづく)